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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)5385号 判決

原告

城山武男

被告

芦谷正

主文

一  被告は、原告に対し、金一二三二万九二五〇円及びこれに対する平成二年七月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三六九一万二五〇九円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成二年七月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、軽四輪貨物自動車との衝突事故により負傷した原動機付自転車の運転者が、右自動車の運転者かつ保有者である被告に対して自賠法三条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和五八年六月二六日午後五時三五分ころ

(二) 場所 大阪市旭区新森六丁目七番二五号先の、信号機により交通整理の行われている交差点(以下「本件交差点」という。)内

(三) 加害車 被告保有・運転の軽四輪貨物自動車(大阪四〇せ三六一九号)

(四) 被害車 原告運転の原動機付自転車(大阪市旭い六六六六号)

(五) 態様 被害車が、本件交差点を東から西へ直進しようとした際、西から南へ右折しようとした加害車と衝突し、原告が路上に転倒した。

2  被告の責任原因

被告は、自賠法三条に基づき、本件事故による損害を賠償する責任を負う。

3  損害の填補

原告は、本件事故に基づく損害の填補として、計二八八二万一一二三円の支払を受けた。

二  争点

1  後遺障害の内容・程度

原告は、本件事故による受傷により、昭和六一年八月五日ころ、左膝左足関節の著しい障害、外傷性てんかん、色覚異常、感音性難聴、知覚障害、筋力低下、インポテンツ、心筋梗塞等の後遺障害(その程度は自賠法施行令別表後遺障害等級表の第六級相当。なお、以下の等級はすべて同表による。)を残して症状固定し、本業の印刷業に従事できない状況にあると主張する。

これに対し、被告は、原告の検査結果や治療経過からみて外傷性てんかん及び色盲の発生機序となるような強度の頭部外傷ないし脳挫傷は考えられないから、これらは本件事故の後遺障害ではなく、脳外傷後遺症、心筋梗塞、インポテンツ等も本件事故と相当因果関係がない。本件事故の後遺障害は、頭痛、めまい等の神経症状(その程度は一四級一〇号相当)にとどまると主張する。

2  心因的要因の寄与

被告は、原告は長期の通院期間中、ほとんど運動療法を行わず、薬物療法に依存した生活を続け、その間、原告自身の身体的素因たる急性心筋梗塞の発現により精神的に落ち込み、本件事故以後の自己の傷病を本件事故と結び付けて捉える傾向を示し、自律神経失調症と診断されているから、心因的要因の寄与による減額がなされるべきと主張する。

3  過失相殺

被告は、原告が加害車に全く気づかず、ブレーキ操作もハンドル操作もすることなく衝突した点で前方不注視等の過失があり、相当な過失相殺をすべきと主張する。

これに対し、原告は、本件事故の原因は、被告が対向左折車にのみ気をとられてその前後を確認せず、小回り右折をしたため、対向車線を直進して来る被害車に全く気づかなかつたか、気づくのが遅れたことにあるので過失相殺すべきでないと主張する。

第三争点に対する判断

一  過失相殺(争点3)

1  前記争いのない事実に、証拠(甲五〇、乙二、一五の2、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

本件交差点は、別紙図面のとおり、南北道路と東西道路とが交わるスクランブル式交差点であり、その信号表示は、南北道路車両、全歩行者、東西道路車両の順にそれぞれ青色となる仕組みで、本件事故当時は相当の交通量があつた。

原告は、被害車を運転して本件交差点を東から西へ直進しようとしたが、対面信号が赤色(南北道路車両の対面信号が青色)であつたので、信号待ちのため別紙図面A地点付近で東西道路の西行き最先頭車両として、片足を歩道端にかけ、同所付近にいた知人数人と会話しつつ停止した。そして、全歩行者の対面信号が青色となつて知人らが北西方向へ横断した後、東西道路車両の対面信号が青色に変わつたのを確認して発進し、交差点中央をやや過ぎた別紙図面B地点付近に至つたところ、右側から加害車に衝突され、転倒した。

被告は、加害車を運転して東西道路東行き車線を先行車に追従して本件交差点に至り、対面信号が青色であることを確認したが、右折するために一旦停止し、対向車線の自動車が東から南へ左折するのを見届けた。そして、対向直進車はないものと思い、ゆつくりと右折を開始した直後、対向車線を直進して来る被害車を目前約五メートルの地点に発見し、ブレーキをかけるとともにハンドルを左へ操作したが間に合わず、B地点付近で加害車右前部を被害車右側に衝突させ、被害車を転倒させた。

2  右認定の事実によれば、被告には、右折するに際し、対向直進車の有無を確認してその安全に十分注意すべき義務があつたにもかかわらず、対向左折車にのみ気をとられ、その前後の対向直進車の安全確認が著しく不十分なまま右折を開始した過失が認められ、原告には、右折待ちの加害車の動静を全く注視しなかつた過失が認められる。そして、両者の過失割合は、被告が九割、原告が一割と認めるのが相当である。

二  損害(争点1)

1  原告の治療経過及び症状内容

前記争いのない事実に、証拠(甲二ないし四四、四五の1ないし11、四九の1ないし3、五一、五二、五四、五五、五六の1ないし34、検甲一ないし三、乙三、四の1ないし38、五の1ないし4、六の1ないし175、七の1ないし73、八の1ないし41、九の1ないし3、一三、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

原告(昭和七年三月二一日生)は、本件事故前は健康体であつたところ、本件事故後一時人事不省となり、直ちに医療法人永寿会福島病院(以下「福島病院」という。)に救急搬送され、即日同病院に入院した。入院時には意識を明瞭に回復しており、瞳孔は正円同大で対光反射も正常であり、上下肢に痛みはなく、当日及びそれ以降の頭部CTスキヤン検査でも頭蓋内出血等の明確な異常は認められなかつた。同病院の診断名は、「頭部打撲、脳挫傷、右第八及び第九肋骨骨折、歯挫傷、顔面打撲挫創、胸部左肩打撲、外傷性気胸、肝損傷の疑い」であり(しかし、意識障害がごく短時間で、四肢の麻痺や瞳孔大の不同がなかつた等右認定の事実経過からみて、頭部受傷の程度は、脳挫傷(頭部外傷Ⅲ型)ではなく、脳震盪(頭部外傷Ⅱ型)であつたと推認される。又、その後、右第一〇肋骨骨折が確認される一方、肝損傷は、入院中に検査受診した医療法人明生会明生病院での腹部CTスキヤン検査等でも明確には検知されなかつた。)、保存的治療を受けつつ昭和五八年八月二五日まで福島病院に入院(六一日間)した。退院後、同病院に通院することとなつたが、同年一〇月中旬ころからは強い頭痛(数分間ずつのきりきりした痛み)のほか、右胸部痛、右後頭部痛、不眠、めまい、悪心、下痢等の症状が認められ、翌五九年四月四日まで通院(実通院日数三六日)し、この間、芝歯科に昭和五八年一〇月三日から同年一二月二八日まで通院(実通院日数四日)して外傷性歯牙破折、歯髄炎の治療を受けた。

原告は、福島病院での治療に不満を感じて昭和五九年四月二日から医療法人盛和会本田病院(以下「本田病院」という。)への通院を開始し、頭部外傷後遺症、右第八ないし第一一肋骨骨折、左肩打撲傷、左膝関節挫傷と診断された。症状としては左膝左下腿の著明な浮腫・腫張(その発現時期は昭和五八年末ころと推認される。)のほか、強度の頭痛(右眼の奥の疼痛)、項部痛、右胸部・左肩・左膝の疼痛(これらの痛みは雨天時に増強する。)、めまい、ふらつき、左膝関節及び右肩関節の運動時痛等が頑固に持続し、跛行ないし歩行困難が認められた。これらに対し、ゼラツプ湿布やホツトパツク、ネオラミン3Bの静脈注射の施行、脳循環促進剤、抹消血行改善剤、鎮痛消炎剤の投与等が継続されたが、翌六〇年四月以降、右眼部の拍動性頭痛や回転性めまい等の発現により、計三回(同年四月二二日から同年六月三〇日までの七〇日間、同年九月四日から同年一〇月一二日までの三九日間、翌六一年七月二六日から同月三一日までの六日間)にわたり同病院に入院した。右の初回入院期間中の昭和六〇年四月二九日午後一一時ころ、外泊中の自宅で気分不良となつて少量の嘔吐後よろけるように倒れたため、救急車で帰院し、右時点では過呼吸がみられたものの意識は清澄であつたが、その後、軽度の意識障害(意識レベルⅠ―3ないしⅡ―10)が短時間認められた。又、同期間中、頭痛・めまい発作時の苦悶が甚だしく、同室患者に不安を覚えさせた。これらの症状に対し、前記加療に加えて脳代謝改善賦活剤の注射、精神安定剤及び抗てんかん薬(テグレトール。但し、頭痛緩和目的)の投与等が行われたものの、同年五月ころ左膝左下腿の著明な浮腫・腫張が一時軽快した以外、原告の前記症状に改善はみられないまま、昭和六一年一一月八日まで通院(実通院日数六〇九日)が継続された。

原告は、本田病院への右入通院と並行して、昭和五九年一一月六日から国立大阪病院脳神経外科へも通院し、同日、頭痛、フラツキ、嘔気、味覚障害、判断力低下、血圧不安定、体温調節障害、失禁、インポテンツとの診断を受け、翌六〇年五月一四日には、頭部外傷、脳挫傷、外傷後てんかんとの診断を受け、並行してそのころ通院した同病院眼科で色覚異常(受傷時の眼震盪等が原因)、複視との、同病院耳鼻科で耳鳴り、感音性難聴との、診断を受け、昭和六一年八月五日を症状固定日とする同日付け自賠責保険後遺障害診断書の交付を受けた(同日までの実通院日数二〇日)。右診断書には、外傷性てんかんを後遺障害とし、主訴はめまい、頭痛、自覚症状は吐き気、ふらつき感、頸部痛、右胸部痛、左下肢痛、易疲労性、左上下肢脱力・痺れ感、歩行障害、インポテンツ、肋間神経痛、腰痛、失禁、味覚障害であつて、他覚症状及び検査結果は、判断力・記憶力・計算力の低下、左上下肢知覚障害、眼球運動障害(正面視及び左右上下視にて複視)、色覚異常、難聴(左二三db、右六〇db)、耳鳴り、左下腿の著明な浮腫による左足・左膝関節の運動制限(左膝関節の屈曲が自動で四五度まで、他動で六〇度まで、伸展が自動他動とも〇度、左足関節は基本位をとることができず、底屈が自動で三〇度から四五度の範囲、他動で二五度から五〇度の範囲)であり、一歯の抜歯と二歯の欠損がある旨、記載されている。なお、原告は、同年五月一六日、大阪市から左膝左足関節の著しい障害に基づいて身体障害者等級四級の認定を受けた。

その後、原告は、昭和六一年一一月九日急性心筋梗塞を発症し、同日から同年一二月二五日まで大阪府済生会野江病院(以下「野江病院」という。)に入院(四七日間)し、精査目的で同日から翌六二年一月二九日まで(三六日間)及び同年一二月一七日から翌六三年一月一八日まで(三三日間)国立大阪病院循環器科へ入院した。その後も同病院に通院を継続し、同年一月二六日、神経科において抑うつ神経症と診断され、平成二年一二月、陳旧性心筋梗塞、梗塞後狭心症、外傷性神経症、腰部棘突起痛、左肩左膝痛等でなお通院加療を要すると診断され、平成三年には東大阪病院に計三回入院し(五月一八日から六月二二日まで三六日間、八月二八日から同月三一日まで四日間、一一月一七日から一二月一一日まで二五日間)、同年一一月二〇日以降は心臓にペースメーカーを装着している。(なお、心臓機能障害等により、原告の身体障害者等級は、二級を経て平成四年四月六日に一級と認定された。)

2  後遺障害の内容及び症状固定時期

(一) 外傷性てんかん

(1) 国立大阪病院脳神経外科の診断内容

証拠(甲四〇、四三、四四、四五の3、10、11、四九の2、乙六の84、85、七の11、12)によれば、原告が本田病院に入院中の昭和六〇年五月一四日、同病院からの所見報告とともに原告を外来診察した国立大阪病院脳神経外科の加藤英俊医師は、外傷後てんかん(外傷性てんかん)と診断し、翌六一年八月五日作成の自賠責保険後遺障害診断書において外傷性てんかん(大発作)を本件事故の後遺障害とし、これに関する自動車保険料率算定会自賠責保険調査事務所長からの照会に対し、原告は、昭和六〇年四月二二日から同月二九日までの間に数回、意識消失、吐き気、嘔吐、めまい等の大発作(大型運動発作)を起こした旨回答し(同年一〇月及び一二月作成の回答書)、又、昭和六一年一一月一一日、野江病院からの原告の病状照会に対して「昭和六〇年四月二二日に意識消失発作」があつた旨回答している。(同科では、昭和六三年九月一〇日現在、予防的に抗てんかん薬(フエノバール)の内服投与を継続している。)

(2) 被告提出の意見書(京都大学医学部脳神経外科永田泉講師作成)要旨 昭和六〇年四月二九日の発作についてだけは、てんかん発作である可能性を完全には否定できないが、本件事故による頭部外傷は脳震盪であり、脳挫傷等の器質的損傷はなく、このような例での外傷性てんかんの発生頻度は〇・五パーセント程度と低いこと、脳波検査で明確な異常が認められていないことから、仮に原告の発作をてんかん発作であるとしても、本件事故との関連性は低いと考えられる(乙一三)。

(3) 当裁判所の判断

当裁判所も、(2)記載の被告提出の意見書要旨と同様、本件事故の後遺障害として外傷性てんかんを認めるには足りないと判断する。すなわち、前記各証拠によれば、〈1〉原告の症状のうち、本田病院入院中の昭和六〇年四月二九日午後一一時ころ(本件事故の約一年一〇か月後)、外泊中の自宅で気分不良となつて少量の嘔吐後よろけるように倒れ、救急車で帰院し、その後短時間、軽度の意識障害をきたした症状は、てんかんの発作であつた可能性がないとはいえないものの、他には、その内容や治療状況等からみて、てんかん発作であつた蓋然性が高い症状は認められないこと、〈2〉本件事故による原告の頭部受傷は、脳挫傷ではなく、脳震盪(頭部外傷Ⅱ型)にとどまるものであつたと推認され、その程度の頭部外傷では外傷性てんかんをきたす頻度は低いと考えられることを考慮すると、〈1〉記載の症状がてんかん発作であつたとしても、これが外傷性のものと認めるには足りないといわざるをえない。

(国立大阪病院脳神経外科の加藤医師は、(1)記載のとおり、原告が、昭和六〇年四月二二日から二九日までの間に数回、意識消失、吐き気、嘔吐、めまい等の大発作(大型運動発作)を起こした旨診断する。しかし、右診断は、同期間中の原告の症状を直接観察してなされたものではなく、原告に対する問診や本田病院からの所見報告(その内容は証拠上明らかでないが、同期間中の本田病院の診療録及び看護記録には、大発作に必須である痙攣の症状を認めた旨の記載はない。)に基づいてなされたと推認される以外にその診断根拠が不明であるし、同医師は、原告には本件受傷後数時間にわたつて意識障害があつたという、当裁判所の前記認定とは異なる事実を前提として診断したと推認できる(甲三八)ことから、同診断を採用することはできない。)

(二) 心筋梗塞

証拠(甲四五の六、乙七の5、6、13)によれば、原告が急性心筋梗塞を発症して入院した野江病院の松崎医師は、原告の長期の闘病生活によるストレスの蓄積が心筋梗塞の誘因となつた可能性はあるものの、心筋梗塞に罹患する誘因には、高血圧、コレステロールの過多、肥満による心肥大等種々のものがあり、ストレスとの因果関係については肯定も否定もできないとしていることが認められる(原告は、医師が右因果関係を肯定した旨供述するが、その医師名、原告に対する説明の詳細及びその判断根拠が不明であるから、右因果関係を肯定するに足りる証拠とはいえない。)から、心筋梗塞を本件事故の後遺障害と認めることはできない。

(三) 歯牙障害

前記認定のとおり、一歯の抜歯と二歯の欠損が認められるものの、二歯欠損の程度が不明であるから、後遺障害等級に該当ないし相当するとは認められない。

(四) その他の障害

原告は、前記のとおり、昭和六一年八月五日に症状固定の診断を受け、めまい、頭痛があり、自覚症状は吐き気、ふらつき感、頸部痛、右胸部痛、左下肢痛、易疲労性、左上下肢脱力・痺れ感、歩行障害、インポテンツ、肋間神経痛、腰痛、失禁、味覚障害であつて、他覚症状及び検査結果により、判断力・記憶力・計算力の低下、左上下肢知覚障害、眼球運動障害(正面視及び左右上下視にて複視)、色覚異常(同系統の色相互を識別できない程度(原告本人))、難聴(左二三db、右六〇db)、耳鳴り、左下腿の著明な浮腫による左足・左膝関節の運動制限(左膝関節の屈曲が自動で四五度まで、他動で六〇度まで、左足関節は基本位をとることができず、底屈が自動で三〇度から四五度の範囲、他動で二五度から五〇度の範囲)が認められたところ、これらの症状は、本件事故以前にはなく、本件事故後徐々に発生し、事故の一年程度後までに発現したこと、他に特に原因と推測される疾患が認められないこと、頭部外傷ないし頸部捻挫から発生することがあり得る症状であること、色覚異常の点については本件事故時の眼震盪による可能性もあること等前記認定の事実や、インポテンツについては本件事故による治療過程で投与されたベンザリン等の向精神薬の影響や、療養生活の継続による自発性、活動性の低下など右の症状をきたす機能心理的な原因があると考えられることに照らすと、これらの障害は、本件事故による頭部外傷に基づく、CTでは捕捉できない程度の、脳の器質的障害ないし頸部捻挫やその治療過程によつて発生した後遺障害と認めることができる。そして、その程度は、神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの(九級十号)に該当すると判断するのが相当である。

(五) 症状固定時期

右(四)に判示した原告の後遺障害の内容と前記1の治療経過及び症状経過を比較対照すれば、原告の症状固定時期は、昭和六一年八月五日ころとみるのが相当である。

3  各損害額(原告の主張額は、別紙計算書の原告主張額欄記載のとおり。)

(一) 治療費 八一一万七三八八円

本件事故による原告の治療費が右額であることは当事者間に争いがない。

(二) 入院雑費 一〇万五六〇〇円

原告は、前記認定のとおり、本件事故日から症状固定日までの間に計一七六日間入院し、弁論の全趣旨によれば、その間、雑費として、原告主張の日額六〇〇円を要したことが認められる。

600×176=105,600

(三) 入院付添看護料 四五万一二〇〇円

証拠(甲二、三、五、二九、三一、乙六の90、117、原告本人)によれば、原告は、右(ニ)記載の入院期間のうち、計一四一日間付添看護を要し、家族の付添いを受けたことが認められ、弁論の全趣旨によれば、右の付添看護費は、原告主張の日額三二〇〇円が相当であると認められる。

3,200×141=451,200

(四) 通院交通費 六四万四五七五円

本件事故による原告の通院交通費が右額であることは当事者間に争いがない。

(五) 休業損害 一三〇四万三五六八円

前記認定の事実に、証拠(乙四の1ないし38、六の1ないし175、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、高校卒業後、父の営む印刷業を約一〇年間手伝つた後、本件事故時(満五一歳)まで二〇年以上にわたり印刷業を自営し、妻が事務に従事するほか、従業員三名を雇用していたこと、本件事故後は長男と妻が中心となつて営業を継続しており、原告は昭和五八年一〇月二四日ころから可能な範囲で若干の仕事をしていることが認められる。

右認定事実によれば、本件事故前の原告の収入額を基礎づける確実な資料はないものの、原告は、本件事故当時、昭和五八年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・新高卒の五〇ないし五四歳男子労働者の年間平均賃金四九七万六九〇〇円程度の収入を得ていた蓋然性が認められ、本件事故により、事故当日の昭和五八年六月二六日から同年一〇月二三日までの一二〇日間及び本田病院への入院期間(一一五日間)の計二三五日間は完全に就労不能となり、昭和五八年一〇月二四日から症状固定日(昭和六一年八月五日)までのその余の期間(九〇二日間)は就労が八割制限されたと認めるのが相当であるから、休業損害は次のとおりとなる。

4,976,900÷365×(235+902×0.8)=13,043,568

(円未満切捨て。)

(六) 後遺障害による逸失利益 一五三三万八〇八四円

弁論の全趣旨によれば、原告は、六七歳まで就労可能であつたと認められるところ、前記認定の、後遺障害の内容・程度、原告の年齢・職業、事故前後の生活状況・稼動状況等諸般の事情を総合考慮すれば、原告は、昭和六一年八月五日の症状固定時(満五四歳時)から六七歳時までの一三年間にわたり、その労働能力を三五パーセント喪失したと認められる。

そして、原告の収入は、前記のとおり、年額四九七万六九〇〇円と認められるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右一三年間の逸失利益の本件事故時における現価を計算すれば、次のとおりとなる。

4,976,900×0.35×(11.5363-2.7310)=15,338,084

(円未満切捨て。)

(七) 慰謝料 六八〇万円

前記入通院期間、症状及び後遺障害の内容等本件に顕れた一切の事情を総合して勘案すると、入通院慰謝料は二一〇万円、後遺障害慰謝料は四七〇万円をもつて相当と認める。

(八) 右(一)ないし(七)の各損害を合計すると、四四五〇万〇四一五円となる。

三  心因的要因の寄与(争点2)

証拠(乙六の149、150)によれば、昭和六一年七月ころ、本田病院の医師は、原告の症状が気候に左右されやすいこと等から、精神不安定性ないし自発性低下と意欲・情動の不足等の心因性の要因が加味されていると考えられなくもないとの所見をもつに至つたことが認められるが、症状固定時期が前記のとおり同年八月五日ころであることを考慮すると、右事実をもつて、寄与度減額を必要とする程の、心因的要因の存在を肯定するには足りない。

四  よつて、前記二3(八)の損害合計額から前記一の過失相殺(一割減額)を行い、前記争いのない損害の填補額を控除すると、別紙計算書のとおり、残額は一一二二万九二五〇円となる。

五  弁護士費用

本件事案の内容等一切の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、一一〇万円と認めるのが相当である。

六  以上によれば、原告の被告に対する請求は、一二三二万九二五〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな平成二年七月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 下方元子 水野有子 村川浩史)

計算書

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